horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

追悼平岡正明

 こういうトピックを記すにより適任な記者は、この「はてな」にしっかり存在する。つまり実は大月隆寛氏であるらしいこちらであるが、それは商業誌にでも発表されるのであろうか、いまだ最新記事に現れないので、直に形骸に接したこともない私淑者としても、おおきに影響を被った先達の死を悼むとともに、その偉業を大月氏のように麗しくはないが端的に記してみたい。
 筆者が平岡先生の代表作を挙げるとすれば、『山口百恵は菩薩である』はまあマスコミ報道でも挙げているが、それでなくとも『あらゆる犯罪は革命的である』『筒井康隆はこう読め』『大山倍達を信じよ』といった、断言するタイトルこそ真髄であると考える。同時代のある事象を断じて支持すると決断し、そのことを断じて宣明し、それを方針として断じて提出するのが、これブログ記者ふぜいの素人物書きでも先生に見習うべき革命的に断固たる態度である。すなわちここにあえて断言するなら、晩年の著作はやはり衰弱を示していた。それは、たしかに芸として完成され、有用な知識を授けてくれる、またジャズ評論というライフワークでは円熟でもあったろう。だが、それは、断じていうなら、筆者の理解する平岡正明の本来からいって、やはりもう衰弱していた。ソ連が崩壊したのはざまあみろだがロシア革命第三世界革命まで否定され、大月氏のような弟分には(『闇市水滸伝』から正反対に転向した『マンガ嫌韓流』の解説者として ― 一定の保留や距離はとったというかもしれないが、その事実において)背かれ、先生としては横浜野毛ローカルか60年代の革命&ジャズ的過去、あるいは古典芸能に沈潜するよりなかったのだとすれば、今さらながらいたましい。