horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

蛇足

 検察的な追及の目で見れば、政治運動を利用した、白人に強い憧れを持つ変質者による男児セクハラ疑惑の否定とシヴィアに断定しうる。
 ところが、この裁判沙汰の政治性というものもまたあるのであって、O・J・シンプソンとともに黒人のスターを槍玉に揚げることによってアファーマティヴ・アクションのような70年代のリベラル行政を新自由主義の立場で清算する、いわばアメリカン国策捜査だ。
 シンプソンが多額の弁護士費用と引き換えに無罪を勝ち取りながら世間的には濃厚な疑惑を残すことで敵の政治的な思惑は達成されたのと逆に、マイケルは事故的に頓死して「殉教者」になることでかえって敵の意図を挫折させるだけでなく福音を残す(吉田松陰的な「留魂」、というより端的にジーザス・クライストか)、あえて望んだわけでもない死においてすら天才的なパフォーマーであった(三島のように自覚的でないところが文学でないポップの王)。
 佐藤優のように状況をインテリジェントに整理できないマイケルの遺族が、それでも理不尽さを覚えてマイケルの死の責任を問うのは、申し訳ないがマイケルの死の意義からすると蛇足である。