horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

揚げ足取りその2

承前

 文庫本解説や似た感じの簡単な作家作品の紹介(雑誌寄稿)を集めた著作だが、最初に取り上げられた坂口安吾の『日本文化私観』や『堕落論』、実は未読なのだが著者の紹介はラジオ番組における浜村淳の映画紹介を彷彿させるオチまで語ってしまうスタイル*1であるし、それによく引用されるので有名な「法隆寺より停車場を」ってヤツね…。これ著者のように戦時中なのによくこんな本が出版されたと驚くようなことかね? むしろ戦時の切羽詰った精神をよく表して、かえって日本ファシズムのホンネを語っているから、著者によれば安吾はぐうたらでどうしようもない奴だから徴兵も徴用もされなかったんじゃなく、むしろ「愛い奴じゃ」と見逃してもらえたんじゃないかと思えるんだよな。
 ブルーノ・タウト桂離宮評価を(そのアンチテーゼとして)安吾を称揚するために同盟国人のお愛想みたいにディスってるが、表現主義建築家タウトはヒトラーからすれば「退廃芸術」家なのであり、モダニズムの観点からする彼の桂離宮評価は「法隆寺」より「停車場」に近いわけであって、実は安吾は(ヒトラーも)その過激化なのである。けだし(井上章一が論じたような)「全体主義建築」より、その廃墟(ヒトラーの夢想)や最初からバラックしか目指さない(安吾=東条政権)ほうが究極の全体主義なのだ。
 たとえばゲッベルス博士はドイツの受けた空襲を、我々国家社会主義革命が望んでもできなかったブルジョア文明の破壊だと負け惜しみを言ったりしたが、これほど「革命」的ではなくとも安吾の言ってることはこれに近い。ハシゲが大阪の文楽は自力で採算取れないなら滅んでいい(助成金は出しませんよ)と言ってるのもかなり近い。「大東亜共栄圏」や「プロレタリア文化大革命」みたいな大義名分もないぶん、安吾やハシゲのほうがかえってナチズムに近いかもしれない。
 ところが著者は「その1」で触れたように、(文化財を擁する)古都(この言葉に異論を言ってみた)だから鎌倉は空襲を受けなかった、として鎌倉駅にその空襲回避進言者*2ラングドン・ウォーナーの碑があることを記すが、それは法隆寺(にもウォーナー顕彰碑があるらしい)ゆえに奈良は空襲を受けなかったということでもあり、停車場のような空襲の好目標より「これを空襲して焼いてしまうのは、いずれ占領して我々のものになるなら惜しいかな」と空襲を回避させる「機能」のほうが価値が高いといえるのではないか。ウォーナーリストに載っていても結局焼かれた物件も数多いが(苦笑)。それにしても同じ著書の中の矛盾だろう。

*1:収録の筒井康隆『敵』文庫解説は本文を読む必要がないと思える(苦笑)。

*2:これにも異説があるらしい。