horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

三田誠広『阿修羅の西行』

阿修羅の西行

阿修羅の西行

 前回ちょっと貶してしまったのをフォローしておくと…。『清盛』の冒頭のシーン、清盛の祖父、正盛が頼朝の曽祖父、義親を討って凱旋し京への作道を行軍するのを、後三条大江匡房が鳥羽離宮の高殿から眺めて「これからは武者の世となりますぞ」とか申し上げるのだが、こんなことはアリエナイのは『双調平家物語ノート』読むとよくよくわかるわけだが。ただまあそういうシーンがイメージを喚起するというのはある。
 『清盛』もそうだが、『夢将軍 頼朝』となるともっと主人公は将来を見通した革命家なのであって、先に見たそれぞれの曽祖父(義親のほうは首だけだが笑)が対面した頼朝と大江広元が若い時からポスト律令制度を議論したりするのが比較的近著『早稲田1968』のバリケード封鎖中の大学時代の体験の残響だったりもするのだろう。そういうふうに(成功した「夢」の)革命時代として院政から源平合戦を描くのはそれなりに理のあることではあって、同じ早稲田をこちらは正しく(笑)中退した故平岡正明が「俺は頼朝や家康が好きだ」といっていたのを私淑の弟子として理解するところであるし、もっと史的に緻密な橋本治氏にしても、この基本認識(時代区分に顕著な)は変わらないはずだ。
 さて本書では、前二著に『西行 月に恋する』までは一応「歴史小説」の自負はあるのだが、これに限ると「ではなくファンタジー」とあとがきでエクスキューズする(この人はまえがきかどっちかでよくやる)ように、西行がアクションヒーローと化してるのであって、頼朝の弟と断るまでもない牛若丸義経鞍馬山で武芸を授ける鬼一法眼という怪人が実は西行(笑)とか、その前に平治の乱に敗れた義朝父子の逃避行で吹雪の山中に父にはぐれた頼朝少年が絶体絶命のとき何処からともなくパカラッパカラッと馬に乗って現れた西行が少年をさっと救い上げて前に乗せると「頼朝、日本の夜明けは近い」なんてことは言わないが(笑)。まあそんなんだけど面白いといえば面白いのだ。