horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

戦前生まれは視聴覚文化弱い

上山安敏『世紀末ドイツの若者』

 ちょうど、こういうドイツもの読んでたのも自分にはよくあるシンクロニシティかな…。「世紀末」という言葉自体がさすがに今やもう聞かれないが(当たり前か)、ドイツでは「世紀転換期」と前向きに捉えた青年の新興の気運だったという、海野弘氏のコスモポリタンな世紀末文化史からは漏れた観点が示されている。逆に海野氏の『世紀末の街角』にはミュンヘンボヘミアンとしてのヒトラーという、この本にはない視点もあったりしたのだが。
 しかし同時代性にポイントを置いてディテールにこだわった描き方は共通し、特にこれは巻末に人名事項索引もあるのでありがたい。ラフカディオ・ハーンがユーゲント・シュティールの文脈で読まれていたとか、若きウィットフォーゲルは表現の自由戦士(笑)だったとか。
 ワンダーフォーゲル~自由ドイツ青年がユーゲント・シュティール(ドイツ版アール・ヌーヴォー)なのは、画像が掲載されているそのポスターやソングブックの表紙絵見れば海野読者には一目で明らかなのに、まどろっこしいことを言ってるなと感じたりもした。60年代後半の視覚的(サイケデリックアート)にアール・ヌーヴォーが再現されているという海野説も、著者の視界にはない(つけくわえれば聴覚的にもフォークソングのリヴァイヴァル)。世紀末ドイツがエコロジーの先駆であるとはこういう再現においてある、その歴史性は1968年を1848年に直接させるより重要と考える。