horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

大佛次郎『乞食大将』

 別に正月に限らず本は読むのだが。実家の蔵書に古い角川文庫本でこれがあり、綿谷雪による宮本武蔵カップリングの考証本(地方出版)で主人公は知っていたので読んでみた。
 内容はこちらに詳しい。史実との異同はここで確認。九州の土着武士団が中央から出向した行政官と衝突する構図は、明治維新後の一連の内乱とも同じで、今ちょうどフィクションで十一谷義三郎の、ノンフィクションで渡辺京二の神風連ものを読んでいるので興味深い。
 武士の形態が戦士=共同体から行政(官僚)=機構に移り変わる過渡期において、脱落して大将から乞食になり、また大将として大坂城と運命を共にする(と、大佛次郎の描いた)後藤又兵衛基次の生きかたはすがすがしく共感できる。これが戦局の頽勢に傾いた昭和19年の新聞連載だったとは、どういう意味があるのか。作者の傾向からいうと軍部の独裁批判かなあ? そんな先取りされた戦後的に穏当なものではなく、諸国を流浪う主人公はソ連を追われたトロツキーなんか彷彿とさせるし、大坂夏の陣の慶長20年よろしく昭和20年も米軍上陸を迎え撃つ本土決戦でいっそ戦士として全うしたい気にもさせる、むしろ過激に革命的な内容だぞ?(「乞食」の意味では、生き延びた戦後を予期しないでもないが) いずれにしろ「大坂城」には天下の戦士大集合の梁山泊的なものがある実感を深めた。
 ところで、読んだ文庫本の奥付けの年月日署名によると、いくら昔とはいえ高校を卒業したばかりの少女にして、こんな本を読む母が謎だが、こんなことを書く男をいずれ産むことになるのだから、それも当然か。