horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

長髄彦との戦いと苦難

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E9.95.B7.E9.AB.84.E5.BD.A6.E3.81.A8.E3.81.AE.E6.88.A6.E3.81.84.E3.81.A8.E8.8B.A6.E9.9B.A3
 「日が死」といえば、日本の原型は東大阪市にある。それはもと草香(くさか)邑と呼ばれる生駒山麓であり、そもそも「日下」と書いて「くさか」と訓むのはなぜかといえば、「日の下の草香」という「枕」詞から来ている(この枕詞起源の訓みは、「長谷の泊瀬(はつせ)」から「長谷」を「はせ」と訓むようになったり、「春日の滓鹿(かすが)」から「春日」を「かすが」と訓むようになったり、「飛ぶ鳥の明日香」から「飛鳥」を「あすか」と訓むようになったのと同じ谷川健一説)。ここがもともとの「日の下(もと)」で「日本」だったのである。それは神戸市兵庫区兵庫県の原型であるのに等しい。
 さて、貼ったURLは神武天皇Wiki記事中のトピックであるが、生駒山の孔舎衙(くさか)で長髄彦(ながすねひこ)に敗北し、兄の五瀬命が致命傷を負った話に注目してほしい。しかし原住民の酋長を長髄彦(プリンス・ロングレッグ)と蔑称している神武の側は、かえって「クラトカ・ノーギ」(ロシア語の東洋人に対する蔑称で意味は「短足」)だったにちがいない。