の中の「玩具のための玩具」という小論に、ミニアチュールのシンボル的価値というテーゼがあって、これを援用するならば、ミニカーの助手席に「
王子様と雪の夜」当時の
加護ちゃんのイメージを乗せて架空の空間を疾駆するミクロ状況の
デミウルゴス(造物主)たることのほうが、喫煙と荒淫で見る影もなくやつれその辺の風俗嬢のようになった彼女が上述の親爺と
実車に並んで座っている現実より、価値が高いと思ってしまうのを如何ともしがたい。あ、それなら
デボネアのミニカーにこだわる必要はないわけか。シンボルとしてのミニカーもいらない、いっそ橇のイメージだけで
氷の涯 (現代教養文庫 882 夢野久作傑作選 2)と洒落こもうか。