horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

那須與市宗高公之墓

 ホーム・ページの更新ままならぬことが大げさにいうと心理的負担で、結局こちらも放置することになってしまった。今朝はいつもの一週間分の洗濯するつもりが生憎と雨で、徒然なるままにPCに向いて座礁ブログのサルヴェージに随意の筆という本意を我流で試みんとす。
 日記を書く編集ページを開けばすぐに目に付くのは日付であって、ここはオーソドックスに重陽節句についてひとくさり開陳すべきであろうが、筆者自身がぐぐってwikiに直行しておる始末では関心のある読者にだけご同様に願いスルーすることとして、本題に入る。
 筆者の利用するバス路線で那須神社前という停留所、その神社の参道入り口らしいところに「那須與市宗高公之墓」という碑が建っているのが車窓から眺められる。いつも思っているのだが、與市とかいって官職もないのに宗高「公」って。近衛公とか西園寺公とか関白太政大臣のクラスの爵位を勝手に奉っていいのかなと。死んでえらくなったのなら「明神」とかじゃないのかとwikiを見れば「権現」とともに神仏分離で使用禁止なんですな。明神や権現ほどじゃないんですよという、むしろ謙譲の表現だったんでしょうか。これは失礼しました。
 関西で那須などいう北関東の地を名乗った武士の遺跡なんかあるのはこれ平家物語ゆかりの地元であるのだが、しかしこの平家の滅亡も西洋史でいったならゲルマン民族大移動、ヴァンダルだのスエビだの蛮族がぞくぞくと文明の地に押し寄せてきたということであって、この地のDQNの多さはこの時の後遺症ではないかと思うところである。そういうわけで重陽などと漢土渡来の雅な風習を今さら語ることもできなくなったのであった。