horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

誤認と再考

 誰か指摘してくれるかな?と期待したが……人気皆無のブログでして高望みと諦め、自己訂正。上の動画、ボルシェビキの一般的圧制が「社会的悲惨」なのでなく、家屋への放火そのことを彼らの仕業としていってるとするのが正しいだろう。撤退に際して敵の利用できる資源を自ら消尽してしまう焦土作戦という事実のあったことを失念していた。ただ、それによって「労働者と農民の天国がこれかよ?」と嘲笑するのに好都合なだけで、そのこと自体を非難する人道的な価値観を持たないのもナチスなのであって、すぐ後に「自分でしなくても、このとおりよ」とばかり重砲の威力を見せつける態度が、まあ天晴である。実際、ナチスが敗勢になると自らも同じ戦術をとったのであり、はたしてナポレオン戦争以来の戦術で来たか、してやられたと苦笑したような感じで、家を焼かれて取り残された劣等人種ごときに憐憫などありえない。スターリンにはまだしも目的が手段を浄化するエクスキューズがないでもないが、ヒトラーには手段自体を目的とする審美的犯罪者の気味がある。スターリンの手段を普遍的な理念で粉飾せず模倣したのがヒトラーだ。正直なぶんだけ、かわいげがあるといえるかもしれない。
 難民を後に残して敵の負担を増やすというのも巧妙な戦術だ。ナチスのことで、劣等人種にあまりいい待遇は与えていないだろうけど。このことから、いま沖縄戦における集団自決は軍命令か否かという大江健三郎の裁判を考えてみれば、日本軍としては米軍に難民を押しつけて戦力を削ぐのが得策であって、自決させるのは損である。日本軍には戦術的理性がない兆候もあるが、そうだとして、そのことより軍の命令に易々と従う住民ということ、(この方が妥当だが)軍命令がなくても集団自決してしまう住民ということの方が、命令を出した(としたら)軍が悪いということより、一層深刻に考えなければならないことなのに、この一応ノーベル賞作家ときては……。ちなみに筆者のイメージするノーベル文学賞作家の典型はトーマス・マンソルジェニーツィンであるので、これらに匹敵するような日本の作家といえば谷崎潤一郎大岡昇平以外になく、故・谷崎の代理で川端が、故・大岡の代理で大江が、ちゃっかり頂いたんであろうと思っている。