horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

野間易通 徹底批判

http://www.warewaredan.com/noma.html
 極少数のハロステ感想読者にはちょっとお待ちをいただくが、この問題は当ブログ筆者のスタンスに根本的に関わるので、まずこれについて考えを明らかにしておきたい。まず上記記事を読んで理解もできないようだと問題外で、このブログ読者になることは無理である。それはまずお断りしておく。
 批判されている野間氏の「サブカル」言及はここで見ることができる。現状全部で7ページあるが最近のものほど重要で、この最初と次のページだけでかなり問題点は把握できる。外山氏の批判は緻密であり歴史的な解明もあざやかで、これに野間氏はどう反応できるのかそれも興味津々だが、しかし私は野間氏の感覚に同感を覚えるのだ。野間氏には「オタク」として一緒くたに嫌悪されているに関わらず。
 しかもここでは「オタク」と「キモヲタ」を分割して「アイドルオタク(ハロプロ以降)」を「キモヲタ」に分類しているにも関わらずである。それでもこの分類で(彼の)サブカルチャーとしてサブカルを排斥し、(彼にはないのだが図示はしている)オタクとしてキモヲタを排斥したい感覚は非常にわかるのだ。
 外山氏にとってサブカル呼ばわりは耳の痛いことなのだと思う。それゆえ力のこもった批判論文なのだがあえて厳しく断じるなら、客観的にサブカルに見られてしまうのをこういう心掛けが違うんだと主観的に弁じているだけなところがある。
 さらにわれわれのプロパーに関して具体的にツッコミを入れるところは、まず彼が「野間に対して堪忍袋の緒を切らしたきっかけ」という佐藤悟志という人物が九州現地の野間氏の同志に反原発集会で排除された問題だが、この佐藤という男が九州入りしたのはその目的が主ではなくMKR集団の「総選挙」参加ということなのである。革命家たるものはアイドルオタクとしてはすべからくハロプロを支持するもので、MKR「総選挙」などに参加するキモヲタとは永久に非和解的に対立する。(そのことを知らずに)佐藤を排除した野間氏の九州の同志の(無意識の)感覚が圧倒的に正しい。