horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

ロシア・ソビエトSF傑作集(上)2

 プルーストの大著に昨年の夏から掛かり(ちびりちびりと。)他の長編小説を読めないが、短編なら小説でも自分に許可することにしている。それ以外のジャンルは無制限に大著も読むのであるが。これも短編集だし情緒より思想が主なので。
 最初の短編「四三三八年」は西暦で、書かれた年の二千五百年後のロシアを想像するというもの。作者のオドエフスキーは当時ロシア文学黄金時代のロマン主義者。(後進国)中国人留学生が祖国に宛てた書簡という体裁から思ったのだが、この二千五百年という数字は、この頃ロシア人が極東で日本人と接触した時、彼らがその紀元を二千五百年と称していた(かなり知識人の幕府ないし松前藩役人ということになるか)のを帰京した者から聞き及んで発想したのでないかと。十九世紀人の未来像が今から見て古めかしいのは確かだが、未来に仮託してもう始まりかけていたらしいマスコミ文化を風刺したり、二千五百年前の古代(書かれた当時の現在)についてとんちんかんな想像をする未来の学者を笑うユーモアもある。
 次の「宇宙空間の旅」はナロードニキのテロリストが獄中で書いた月着陸の想像。過激な革命行動者が囚われて宇宙論をものするというブランキの例もあるが、地球の重力を脱することが国家の抑圧から解放される喩となる発想が、書かれた情況的にも切実だ。そしてこれはロシア革命に挺身した多くの人々の夢であった。その後、この夢がほぼ実現してソ連の宇宙飛行士が「地球は青かった」と名言を吐いた時、しかし彼も(軍人だから)地上に戻っては祖国万歳になるのを見て、地球の引力を脱してすらスターリン主義から脱し得ないのかと口惜しがったのは革マル派文化人の高知聰だが、ロシア革命の初心の理解として正しい。
 以下次回。