horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

ロシア・ソビエトSF傑作集(上)3

 配所の月をただ眺めるんでなく、あるいは禁固の状態で眺めることもできないが、そこに到達する手段を考え、そこにあるクレーターのできた原因を推理するというような、前回紹介モロゾフ作品はただ近代的であるというだけではない。

世界は眺めるために与えられたものではない。世界を観照することが人間の目的ではない。人間は常に、世界に対して干渉を及ぼすこと、自分の望むがままに世界を変えることが可能であると考えてきた。ニコライ・フョードロフ[著作集]フョードロフ伝より重引

人間の自然統御と宇宙空間への進出というコスミズムの思想が背景にあるわけである。
 日本でも円本時代に多く翻訳されていた流行作家クプリーン(クープリン)の1912年作品「液体太陽」は、端的にいって原子力エネルギー解放の予言だ。その不吉さに慄く文学的感性は、のちに原爆開発に積極的に参加した学者輩より倫理的にはるかに上等である。学者専門家が一般大衆より品性下劣になっていくとはオドエフスキー(前回既出)の予測もしなかった時代が始まろうとしていた。
 このアンソロジーのハイライトとなるのがボグダーノフ「技師メンニ」で、本全体の半分近いヴォリュームの中篇。荒俣宏の指摘するように、この思想家はレーニンに論駁されることにより、かろうじて日本に紹介された。岩波文庫唯物論と経験批判論』が怪我の功名というわけである(大正時代に大宅壮一が本作の前編を訳出しているが)。自らを実験台に血液交換による若返りを試みて命を落とすという人だけに、構想の雄大さは抜群だ。火星人の運河建設事業を、そのリーダーシップを執ったヒーローの伝記で語る。十月革命以前(1913年)に社会主義建設のロマンを描いて時期尚早(「永久革命」のつもりだったのに)、またレーニンの顰蹙を買ったようだ。スターリンによる白海運河建設は一見このロマンの実現のようで実は、投入された囚人の強制労働が徒労でしかない水利的に無意味な工事だったとはソルジェニーツィン収容所群島』にあるとおり。
 最後を締めくくるブリューソフ1918年のショートショート「生き返らせないでくれ」は、死者の復活というフョードロフの理念を皮肉ったものになっている。フョードロフの倫理的唯物論に惹かれながら結局、観念論に拠って決裂したソロヴィヨフの影響下に作者はあるんではないだろうか。
 巻末の訳者による「ロシア・ソビエトSFの系譜」も読み応えがある。こんな素人の感想より、直に就くべきものだ。最前のブリューソフに限ると、その戯曲が紹介されているが、あ!その話ディックの『最後から二番目の真実』やん(どっちが先に書いてるかは察しがつくでしょう)。