horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

夢と魅惑の全体主義

夢と魅惑の全体主義 (文春新書)

夢と魅惑の全体主義 (文春新書)

 先にゴロムシトク『全体主義芸術』を読了しているので、本書の前半に目新しい発見はない。ナチスの有名なニュルンベルク大会のあった日とNY9・11テロ追悼でその後毎年当日跡地で行われているサーチライト・ショー(?)がまさに同日という因縁くらいか。また著者の『戦時下日本の建築家―アート・キッチュ・ジャパネスク (朝日選書)』も既読なので、(著者も断っているように)中盤も既知の内容だったりする。すると、川村湊に対する反論がこの本の読みどころということになった。これは(和風ないし中華風の屋根を持つ)帝冠様式ファシズム様式ではないとする著者の持論を、坪内祐三靖国』批判の「ついでに」川村が満洲国首都新京を例として反証したものに、蒋介石政権の南京都市計画や戦後の中共の北京都市改造を例に、新京もむしろ中国人の趣味に迎合したのであって日本ファシズムの強制ではないと逆襲したものである。日本ファシズムは戦時体制の鉄資源節約のため首都東京でバラック建築を推進したことこそが特徴だと。
 既にネタを明かしたことだがゴロムシトク著を読んでいると、その刺激的な見方を応用すれば井上の紹介した事実こそ川村説を裏づけることになるのだ。国府中共重慶や延安に引っ込んでいた時はバラック建て同然のもので済ませていたのではないか。満洲事変と満洲国建設こそが日本ファシズムの最盛期なのであって、その時期の帝冠様式こそを日本ファシズムの建築とすべきである。そして、独ソの全体主義の様式が互いに似通ったものとなったように、日中の全体主義で建築様式も似通ったものになったのである。著者に自覚はないようだが、日本の軍国主義が独伊のファシズムと異質であると強調することで、西尾幹二流の自覚的な侵略戦争免罪論に棹さしているのであり、(坪内もそうだが)ノンポリを自負するような人にありがちな政治センスのなさを露呈している。