horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

吸血鬼ドラキュラ

吸血鬼ドラキュラ [DVD]

吸血鬼ドラキュラ [DVD]

 現在の特撮技術で撮った例えば「ヴァン・ヘルシング [DVD]」みたいな後発ゆえに奇想をマニエリスティックに凝った設定やジェット・コースターなアクション展開もない、舞台芸術の生きていた時代の俳優の演技とライティングと音楽だけで創られた原作に忠実で端正な古典ホラー映画である。だからといってマニアだったら今の、前述「ヴァン・ヘルシング」なんかにヒンがないとかダメ出しするんだろうが、あれはあれでやはり面白い。一例を挙げると、女吸血鬼がドレスアップした貴婦人から佐賀の怪猫然と本性を現し蝙蝠女に変身した姿の現行CG(or特殊メイク)技術による生々しい獣人ぶりなんかは、手塚治虫先生の御覧になれなかったのがいかにも残念と思われる。猫というものは人間の女のような顔してしゃなりしゃなりと馴れ馴れしく寄ってきてはニャアと笑いかけたツラに肉食獣の牙が剥き出ている、そういうキモ怖いケモノであったりするが、そういう感じが描けていると思うのである。
 ドラキュラ伯爵の仇敵ヴァン・ヘルシング博士が「アンホーリー・カルト(字幕では「邪教」)を滅ぼさなければならない」とか言ってるのは、さすがに本質を衝いている。筆者の親戚の女の子で、とあるアンホーリー・カルトの毒牙にかかって、そのカルトの商品である振袖(もちろん暴利価格)を親(親戚のおばさん)に買わせようとしたりしていたが、その後消息不明でおそらく南朝鮮による拉致被害なのだが、わが国の政権党内部にこのカルトが深く食い込んでいるためにうやむやのままである。アンホーリー・カルトというのはセックスと金という面でアンホーリー(不浄)なのももちろんだが、吸血鬼に咬まれて死ねば吸血鬼になってしまうように、被害者が即加害者に変身する、これにポイントがあるのだ。だが映画は、たんにアンチ・キリスト教だからアンホーリーといってる節もある。しかしこのディオニュソス教はミシュレが『人類の聖書―多神教的世界観の探求』で指摘するように、キリスト教もその一部であったいわば同類なので、ドラキュラことディオニュソスが十字架に畏れ入るわけがない。サクリファイスの宗教としても、バタイユ的にいって太陽光線にむしろはぐくまれたものが太陽光線を恐れることがあろうか。にんにくだって、そんな精のつくもの山門に入るを許さない仏教徒じゃあるまいし、嫌うどころかかえって好んでそうだが。
【追記】プルタルコス(『エジプト神イシスとオシリスの伝説について (岩波文庫)』)に出ている玉葱を忌むエピソードが変形して伝わって、吸血鬼(ディオニュソス教徒)祓いにニンニクということになったのではないか。このイシスとオシリスの神話がディオニュソス教の源流にあるというのもミシュレ説。