horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

枝野幸男氏の名前に隠された謎

http://www.excite.co.jp/News/column_g/20110416/Allabout_20110416_2.html
 名づけに意味をさぐる、ということに以前から関心を持つので、興味深く読んだ。とくに漢字の孕んでいる無意識に日本人は無頓着すぎるので、こういう記事は有益だ。中国人のほうは本場的に体得しているとき、かれにたいして無自覚に、けっきょくこちらが不利益になる言動を取ってしまうことになる。たとえば「支那」とか。
 本場といえば、同じ政府要人でも枝野幸男より蓮舫の名前が好きだ。本人にさほど感心しないが、こう名づけた親のセンスには脱帽のほかない。蓮が舫(もや)う、というようなロマンチックで風流なイメージを女子に名づけるまでに、漢字の使用に関して日本人はまだ習熟してないといえよう。ただ、これも(女子の)名づけとしていいのかどうかは不安な点もないではない。地に足の着かない当てどなさがあるというか…。
 ところで上掲の記事で漢字の無意識の本旨から逸れるかたちで言及された尾崎行雄のことを、徳富蘇峰がその「終戦後日記」のなかで軽くバカにしていた。口先で奇麗事をいうばかりでなんの実力もない男だと。日本軍占領下南京傀儡政府の首班・汪兆銘を、日本でいうと尾崎行雄みたいな人物だとも書いている。こういう意味では、尾崎行雄のようにと名づけられるのは、「幸」を無自覚に使う以上に不吉なことである。