http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20130220/Kyodo_BR_MN2013022001001083.html
卑弥呼は北九州(と南朝鮮)に勢力を持つ「倭」王なんだから、「日本」のここに墓があるわけがない。これは「神功皇后」陵であろう。(以下の記述は、以前の「明石から見た神武東征」当ブログ記事を踏まえる)
そもそも(征服された「日本」)神功皇后が(神武こと倭人征服者)応神の母になっているのは、名草戸畔Wiki記事にある、
と同じ事情と考えられる。やはり和歌山現地では名草姫命として大事に祀られるように、ここに王者として祀られているのだろう。
ついでにいえば、小千益躬ならぬ長髄彦に「鉄人」討伐勅令をくだしたのが「女帝」だから、「推古天皇の御代」という大蔵海岸伝承となったのであろう。しかも宮内庁の主張する古墳被葬者、倭迹迹日百襲媛命が孝霊天皇の皇女なら、この小千益躬も同じく「孝霊天皇第三の御子伊予の皇子より十七代の嫡葉」ということになっているから、長髄彦は女帝の甥みたいな関係ではなかったか。
http://www.siromegu.com/castle/hyogo/hatimanjinjahoudai/hatimanjinjahoudai.htm