horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

卑弥呼の墓

 尼にも楽天にも商品がなく、Wiki記事の著作列挙からも漏れた原田大六著『卑弥呼の墓』(六興出版1977)を持ってたので次に読んだ。「古墳の意味」とはこの書に書かれたのを(後から読んで)知ったので、上から目線で「深く捉えている」などとスミマセン。このブログの文脈的にはブルガリアで貴族の遺骸の心臓に杭を打ち込むのとだいたい同じ動機で、古墳というものはできているのだ。それがゾンビでありゾンビのように醜い老女でありといった「鬼」(死者のこと)への怖れ(ホラー)である。支配者というものは生前からして恐ろしく、死んだらますます恐ろしい。崇徳上皇とか恨みを残して死んだからという因果的「限定」がつくのは、同じ迷信でもそれだけ古代の見境ない恐怖からは理性的に「進歩」しているわけである。
 まず著者から見れば素人による卑弥呼陵の候補地に一々出向いて、考古学の名でダメ出し(第一章)、そもそも、と(上述の)古墳の意味=死骸恐怖の精神分析があって(第二章)、これに沿って参考になる古墳群を瞥見(第三章)、さらに女帝的存在のいくつかに絞って検討(第四章)、卑弥呼=「倭迹迹日百襲媛を推す」(第五章)、箸墓=卑弥呼陵の証明(第六章)という構成で説かれる。素人なので考古学的に反論はできないが、第一章で「単なる自然丘陵」と一笑に付している宇佐神宮亀山とか、古墳=前方後円墳という著者のこだわりがないと、後から応神・神功というそれ相応の「神」が祀られることからも、倭の聖地=卑弥呼陵なんではないかと思える。