horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

日本神話における出雲―出雲風土記と中央神話体系

 ヘンリー・スコット・ストークス『三島由紀夫 死と真実』は、作家と親しく交際した(その記述も含む)英国人ジャーナリストによる優れた評伝で現在は改訂版が出ているようだが最近オリジナルの版で読み、三島が日本浪曼派から受けている影響の指摘に興味を覚え、所蔵の「国文学 解釈と鑑賞562日本浪曼派とは何か」という古雑誌を通読した。
 こういう特集雑誌、たとえば「現代思想」みたいなものもそうだが特集だけでなく最初のほうの小記事から連載の一章、出版案内から編集後記まで全部読む流儀なので、後ろの方に「特論」として載せられた79年1月発行当時[学習院大学院博士課程]の神田典城氏のこの論文も偶然読み、今どき評価する人はおろか読んだ人も更におるまいが高く評価したい。
 著者はその後、母校の教授となられたようだが、それ以外にセミプロのクラシック音楽家でもあるようだ。三島の伝記に出てくる輔仁会(その雑誌でアマチュア・デビュー)というのに、ここでリンクするとは。
 内容を簡単にまとめると、記紀(中央神話)に出てくる大国主の国譲りやスサノオのヲロチ退治のようなことを出雲風土記はスルーしてむしろ反対のヲロチ=国土神的な神話体系を築いているという指摘なのだが、皇太子に御進講もしたかもしれない先生がそんなことをいうものかなと、それを日本浪曼派の特集で読むのもオツであった。
 出雲というのは西洋でいえば「エトルリア」みたいなもので、縄文が「ケルト」なんだろうと思う。スケールも時代も異なるので比喩でしかないのだが、「日本に古代はあったのか」としていきなり東アジア全体の「中世」から歴史が始まったとするのに承服できない。ユーラシア大陸からアメリカ大陸ほど離れてはないがいささか孤立して、大陸では「中世」(しかしそれも比喩である)の時点で日本では「古代」が始まったのだと考えても問題はないはずである。つまり私は京都学派の東洋史〜日本史に総じて反対である。