horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

例外社会

例外社会

例外社会

 TV画面で見る宅間守の容貌が、著者近影という形で見知っているこの著者に似てると感じたのは筆者だけだろうか。「宅間の20世紀的に極端な性格」と本書で書く著者だが、いやあなたも自覚はあるでしょうが相当に極端に20世紀的でしょうと。まずこの本書が、書中に引用されたジョージ・スタイナーの挙げる『存在と時間』と並ぶ大戦間ドイツの黙示録的著作群と同じようなスンマ式大著であって、昨日香典のつもりで買ってきた同じ40年代生まれの故・平岡正明の遺著か生前最後の本が同じく3月に出た『新書457昭和マンガ家伝説 (平凡社新書)』という小著なのと著しい対照を示している。同じ無差別殺人者として宅間と比較された加藤智大のほうがむしろ21世紀例外社会的とする著者のひそみに倣えば、レトロと新書ブームの21世紀に出版として妥当なのは平岡著の方かもしれない。教養の崩壊を必然と説きながら、崩壊した教養ではおそらく読みこなせまい難解な大著を若い人に読んでもらいたいとは無理な注文ではないのか。
 一昨夜書いた同時代に断言ということが本書では「バスチーユへ」というふうに書かれていると読んだ。本書自体は原理論から段階論であって、具体的な方針は出してない。著者のフィールドではたぶん『探偵小説は「セカイ」と遭遇した』(未読)あたりがそれにあたるのだろう。それにしても自分はその探偵小説なりミステリなりのジャンルは少し苦手だ。いや読むのは読んでる間これはどう解決されるんだろう?見当もつかないなードキドキワクワクと楽しんでるが、その興奮の大きさに比べるとなんかいつも解決がショボイ気がして読後に索然としてしまうのだ。合理的なものの限界といおうか。ミステリ作家が書いたからというのでもないが、本書にもなんかそんな気味なしとしない。結論として提唱される「生存のためのサンディカ」という概念も、それなら「志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。」(論語 衛霊公篇)と言い換えることもできようというほどに封建倫理一般的であり、そのようにすぐ建前に堕してしまいそうなシロモノ、とはまあ言い過ぎだが、それによっていわば解決される「複存」という概念にブランキの『天体による永遠』を持ち出されて唸らされるワクワク感に比べてショボイのである。ちなみに後者の概念は小森健太朗という、この著者とともに筆者が例外的によく読んでいるミステリ作家からアイディアを受けたらしい。その著書『大相撲殺人事件 (ハルキ・ノベルス)』でヘンな褌かつぎが「大量死の時代」がどーのこーの言ってるのにフイタことを思い出し、なるほど著者同士交流もあったのかと知った。