horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

武田泰淳と竹内好

武田泰淳と竹内好――近代日本にとっての中国

武田泰淳と竹内好――近代日本にとっての中国

 著者の近代日本知識人に焦点を合わせた一連の論考で、特にフランス、朝鮮に続いて他者の文化と対応した人々の3部作最後の作品という位置づけになるらしいが、著作を読んだのは翻訳の文庫クセジュドレフュス事件』以外ではこれが初めてである。
 表題のふたり、特に後者に興味があって読んだのだが、それはたとえば『竹内好という問い』や『【人と思考の軌跡】竹内好---アジアとの出会い (河出ブックス) (河出ブックス―人と思考の軌跡)』ほど、思想家としての意味を追求していない、あくまで中国との関係から論じられたものである。なおそこでも、このように問題のある本にうっかり依拠したりするように、文革を否定したその後の現在を肯定しない丸川著のような意識には届いていないかもしれない。
 だがその丸川著で竹内の『風媒花』に対する厳しいダメ出しに引きずられた武田評価の低さに対し、本書では武田の小説に竹内のリゴリズムを補完する幅の広さを認め、中国との対応にこだわった見方で、『わが子キリスト』や『富士』のような一見、中国と何の関係もなさそうな後期の小説に、文革とのいわば「掙扎そうさつ」(魯迅の概念で詳しくは上記の孫著参照)を読み込むような卓見もあった。この二作、実は未読なので今さら興味を持った。しかし既に所蔵はしている謎。
 竹内が北一輝を見たような目で、今の我々は竹内を見るべきなんではないか。戦後に生き残った北と対峙する竹内がモデルの人物というSF的設定を含む『風媒花』(これも持ってるが未読)のストーリー紹介を読みつつ、そんなふうにも思った。