horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

宙返り

宙返り 上 講談社文庫 お 2-9

宙返り 上 講談社文庫 お 2-9

 ハロメンの自己紹介のパターンで「好きな食べ物は〜」というのを(他にもいろいろあるが一応)しぐれカツ丼ということにしとくと、「最近ハマっているものは〜」(他にもいろいろあるが一応)大江健三郎だったりする(笑)。
 例によって海野弘『アンドロイド目ざめよ』という著書で、タイトルもインスパイアされている『新しい人よ目ざめよ』が名著と称えられてるのをきっかけに読んで意外と(?)ハマり、福田和也現代文学』で紹介されていたのが気になっていた、これを続けて読んだわけである。
 内容を忘れていた福田著を見返してみて、その『宙返り』評を批判することで私の評としてみようかと。まずこの小説は福田著に指摘されるまでもなくショーレム『サバタイ・ツヴィ伝』に取材して書かれており、こちらを既読の上で福田著の指摘で興味を持っていたということは確かだ。そのこと自体や表現のディテールをあげつらって「ペダンティック」だとも福田著は言っているが、かりに大江著が(無自覚に)ペダンティックであるにしても、福田著の意図的なペダンティックさほどの罪はない。福田著が意図してペダンティックなのはオブスキュランティズムである。
 福田著が何をあいまいにしようといているかといえば、現代日本でサバタイ・ツヴィに興味を持つなら当然の昭和天皇との比較が大江著としても暗黙にあるのに、それを見ていながら見ないふりをしていることだ。ショーレムシオニズム加担を大江のお花畑ユートピズムぶりに引き比べて苦渋の現実的選択みたいに称えあげ、そうしてる俺様の「保守主義」もショーレム(やそれが匹敵するとするハイデッガー)並みのもんなんだよといいたげだが、それだったら大江だってショーレムのノリで「大日本帝国の実在よりは戦後民主主義の虚妄に賭け」(丸山眞男)ているともいえるだろう。
 けっこうサスペンスフルな展開で結末まで引っ張られるんだけれども、それが逆に推理小説的な読後の索漠感を抱かせないでもない。もちろんこのテーマでオウム真理教は参照されないわけがなく、オウム事件の時に故中島梓がオウムには高橋和己『邪宗門』みたいな深い内容がなく陳腐で興ざめだみたいに言ってたが、これはオウム後にオウムには結局なかった内容(夢?)を盛り込んでカルトを扱った作品とはいえる。上に述べたように(戦中戦後を通じた)天皇カルトにまで射程は及んでいるが、ペダンティックなのかはともかく推理小説風に知能犯が組み立て探偵が見事に解いてしまう犯罪のようにきれいに始末できるものではない現実との齟齬が、読者を索然とさせるのではないだろうか。