horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

昨日ジュースイベあったのかよ難波で…こんな駄本読んでる場合じゃなかった(苦笑)

堺屋太一団塊の後 三度目の日本』

 小説として文学的価値も皆無なら単にお話としても著しくつまらない、箸にも棒にもかからない本だが、著者が最晩年にどういう思想・志向を持っていたかという興味があると読み通せないこともない。
 そもそもの団塊シリーズ(?)発端『団塊の世代』というのが近未来SF仕立ての連作短編で、たとえば70年代当時にまだ日本上陸してなかったコンビニの、フランチャイズ店長というものが本部の搾取である今日では明らかな事実を既に予見してるような一話があったりもするが、この貧寒な棹尾を飾った長編においても、(執筆当時?から)10年後の2026年に就任する徳永好伸(徳川慶喜のもじり)首相は、どうやら小泉進次郎がモデルらしいのだが、環境相を経てそうなると見事に予見しているわけだ。しかしこの時点でもう馬脚の現れた進次郎が将来、首相になって「大政奉還」し維新、戦後に続く「第三の日本」を開く大業を成し遂げられるとは到底思えないが。
 徳永首相の「大政奉還」とは幕末とは逆に地方分権化なのだが、それならいっそ江戸時代の農本主義に戻る(現代の技術水準はもちろん保持したままで)関曠野氏のヴィジョンまで徹底できればまだしもなのだが、せいぜい(登場人物に一々もじったネーミングをつけた)明治維新アナクロに名乗った政党(著者がブレーンだった)の、国鉄分割民営化を国家分割民営化に敷衍する新自由主義の水準で終わってるのが、驚くべき先見性はあっても何か決定的にその先見性に追いついてないセンスの古さ(たとえば「インパク」企画のような)が以前もその並行性を指摘した小松左京(彼の場合は映画「さよならジュピター」の大コケか)に通じるものがある。