horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上・下』

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下

 ブノワ=メシャンの『クレオパトラ』を含む「史上最長の夢」シリーズにラインナップされてた人物だが、このように日本語で読めるので読んでみた。『ローマ人の物語』で有名な著者であり、この主人公もたしかに(神聖)ローマ皇帝で、彼女の好きな?ローマ帝国的なことを再建しようとしたのだなと理解できる。
 エピグラフに皇帝の著書から抜き書きされたフレーズがレオナルド・ダ・ヴィンチのそれと並べられて、どやルネサンスの先駆やろ?という感じなのだが…こうした啓蒙専制君主をローマ的ルネサンス的と持ち上げる著者のセンスに同感しない。メルフィ憲章をもって法治を確立したとするのも、同時代の貞永式目とどれほど差があるのか。著者のくさすマグナカルタのほうが、(それが封建諸侯によるにせよ)行政権を制限する憲政の基本は備えているだろう。
 むしろ著者の悪しざまに書く法皇を担いで皇帝に反抗する北イタリア市民(ロンバルディア同盟)のほうが、ローマ(共和国)的ルネサンス的な先駆ではないか。著者は最近『ギリシア人の物語』に手を染めたようだが、この様子だとアレクサンドロス大王をもってギリシア都市国家の完成ということになりそうな、思想的にはまさしくブノワ=メシャンと同傾向なのかもねえ。
 下巻も終わりの方(フリードリッヒ死後)に「シチリアの晩鐘」が出てきて、ようやく思い出したのだが、スティーヴン・ランシマン『シチリアの晩禱』は、この皇帝の死から語り出されているのだった。下巻巻末の膨大な参考文献(洋書)の中にこれはなかったので、この事件の背後にビザンツがいたみたいな説は出てこない。本家ローマ帝国から見れば(不当に皇帝を僭称しもする)シチリア王がフランス人(フリードリッヒの子を倒した)にせよドイツ人(フリードリッヒ)にせよノルマン人(フリードリッヒの母系)にせよ危険な夷狄であることに変わりはないのだ。
*「ローマ法王」か「教皇」なのであってヨーロッパの文脈では「法皇」とは書かないようだが、あえて暗示的に間違えた(笑)。