horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

橋本治『双調平家物語〈1〉序の巻 栄花の巻(1)』

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 なぜか「はまぞう」で商品検索して「橋本治」トータルで尼に無いのだが…。一時的な不調ならよいけど、それはともかく早速読み出して序の巻までは読んだわけである。
 原典の「祇園精舎の鐘の聲〜」から「遠く異朝をとぶらへば〜」の単なる人名列記を微分的に(理系じゃないのでソーカル的に適当に間違った比喩ならスンマソン)「語る」方法をとって異朝(唐土)の叛臣伝におよんで、いきなり「平家」だけを読みたい人だったら面食らわせられる展開だが、それ(安禄山周辺が大部分)だけで中編小説ひとつくらいのヴォリュームがあって堪能できた。また叛臣列挙の人選の不適切を指摘する史眼もさすがである。
 こういう歴史物語は、中公新版「世界の歴史」では社会史重視の京大東洋史系(発展段階として彼らの考える中国の「中世」とか「近世」とかを示したい意図)の執筆陣がエピソードとして触れるだけだから、こう細かく語られなかったものだった。けっこう安禄山なんか木曽義仲っぽいねと既にして思われる。倶利伽羅峠の戦いみたいなものもあって。そういう戦闘における大量死や、敗将処刑、皇帝落魄といったシーン登場人物の死の場面ばかり(おそらくあえて)描写を冴えさせているのが、盛者必衰のことわりをあらわすのか。
 この巻に限ると、(著者の指摘する)史思明=頼朝、楊国忠が清盛っぽいのだが、安(禄山)史(思明)の「大燕帝国」は鎌倉幕府ほど長続きしなかったので(源氏政権としての短命は似てる)、ゲン(源)ギスカン義経説(八切止夫)の元朝まで本格的な北方民族王朝は待たねばならなかったと。
 ちなみに『平清盛 福原の夢』の著者で高橋昌明神戸大学名誉教授は、そのあとがきでアイザック・ドイッチャーのスターリン伝の筆法にならったと書いてるわけだが、スターリンに比定できるのは頼朝をおいてあるまい。頼朝本人が、自分を生かしておいた清盛のアマさを反面教師にしているのだから。