horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

長崎浩『共同体の救済と病理』

共同体の救済と病理

共同体の救済と病理

 序章「ハンナ・アレントとコミューン主義」(英語で書くとcommunismで共産主義なんだが)で、アレントの矛盾を突いてるのから引き込まれた。彼女のように古代ギリシアのポリスやアメリカ建国者を、ロシア革命のソヴィエトやハンガリー革命の評議会とイコールで結べるわけがない。前者は奴隷所有者の旦那衆で、(ポリスの)そんなことは彼女の貶すルソーだって指摘しているのだ。ロシア革命なら臨時政府を構成する「公衆」のほうが彼女の意にかなうはずなのに(意外にも)ソヴィエトとかいうのが(彼女がそうは呼ばれたくないはずの)「コミューン主義」なのである。
 矛盾点は何かといえば、けだし政治と叛乱(共同体)なのだ。アレントの矛盾を我がこととして共同体の救済を認めつつ病理を見据えて政治を構築しようという著者の素志で、今回はさまざまな宗教(かなりいかがわしい人民寺院、オウム含め)共同体をとりあげて、とりわけ「政治家」パウロに共感して語っている。
 この二元論こそはドニ・ド・ルージュモン『愛について―エロスとアガペ―』ともパラレルなのであって、やはりカタリ派的なロマン一辺倒ではシモーヌ・ヴェイユの自滅しかないわけか。