- 作者: 浅羽通明
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2007/06/01
- メディア: 単行本
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反戦デモの有効性(お得意の)批判で、むしろ有効性を問わない親鸞の念仏専修のような宗教性に至ったほうが可能性があるというような意見で思い出したのが
140 赤い山女魚 ◆dN4g5Tlqz. akaiyamame@h4.dion.ne.jp 02/12/12 16:40
デモというのは示威行為、「イラク攻撃反対」とか「有事法制粉砕」とかを、
不特定多数に訴えるもの。これは、「職場生産点での闘い」、あるいは学生運動
においては「学習点での闘い」を掲げる協会とは相容れない戦術である。
しかし協会派の人もデモに参加する。これはなぜかというと、外に対して訴
えるためではなく、内に対して「デモに行こう」と呼びかける事を重視するから。
つまり、たまたま通りがかった人に「イラク攻撃反対」を訴える事より、「労組
として機関決定でデモに参加する」とか「組合員をデモに動員する」ことが重要。
で、そうして「労組や組合員が鍛えられ組織化する」ことが目的だから、道行く人
に訴える事が出来たかどうかは関係ない。本当に、不特定多数に訴える事が目的な
ら、一人でビラを作って街頭で撒くとか、いくらでも可能なのにそうしない。「組
織として取り組む事」こそが目的だから。
デモ隊を見る通行人には、そんな内部事情は関係ない。で、プラカードも横断幕
もシュプレヒコールもない、労組の旗やノボリを掲げてぞろぞろあるく集団を見て、
「一体何を訴えるデモか」と疑問に思うわけだが、「内部の階級的強化」が目的であ
るから、それでもデモは「成功」なのだ。
141 赤い山女魚 ◆dN4g5Tlqz. akaiyamame@h4.dion.ne.jp 02/12/12 16:46
協会派の場合、通行人どころか集会参加者にすら自らの主張を訴える事は
しない。集会場の入り口には各党派や系列団体、市民グループなどが陣取っ
てビラを撒くけど、彼らはそんなことしない。仮に「社会主義協会」や「社会
主義青年同盟」でビラを撒いて、「皆さんの考えに共感しました」という人が、
万が一いても、協会派は職場の労組活動こそが大事だから、そんな人が一人ぽ
つんと来ても、対応できない。
こういう2ちゃんねる共産党板の社青同協会派スレッドの書き込みだった。マスメディア的ウケ狙いのパフォーマンスが当り前の時代に育った身には、批判されてることのかえってストイックさが新鮮でかっこいいと思えた。30年代〜50年代の感性なんだろうなあ。