horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

橋本治『双調平家物語〈6〉保元の巻(承前)』

双調平家物語〈6〉保元の巻(承前)

双調平家物語〈6〉保元の巻(承前)

 当初の予想以上のペースで読めてしまうので、更に負荷をかけて保元・平治の各物語の原典も読もうかなと思うが実際、「保元の巻」とはいいながら、まだ「保元物語」も始まらない段階で話は終わっている。約十年後に文庫化された時に「院の巻」とタイトルを替えたのもむべなるかな。ローマ帝国退廃期の皇帝に匹敵する白河院がこのへんの主人公とはいえるのだから。
 この物語のナレーターというものが興味深い。平家滅亡の当時において事後的に語られている設定で、当時最高の知識人たる慈円にいやまさる(のは当然の)現代の知識をもって20世紀後半以降の現代文で綴られている(これもまた当然といえば当然か)。しかしあくまでなお当時の価値観に忠実たらんとし、その限界の中で現代人にも納得のいくような歴史解釈を試みて「物語」としての「味」をそこなわない工夫が有難し。
 しかし何故、平清盛白河院皇胤説が(定説として当然かもしれないが)採用されて、(保田與重郎萬葉集の精神』で「大鏡」からとして引かれた)藤原不比等の天智帝皇胤説はそうしなかったのか。相似形を示して繰り返されることが古代すなわちアジア的専制の特徴として著者の理解するところではなかったか。