horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

たけのこの季節

小松左京『春の軍隊』

 LV参戦レポを更新していくつもりが放置してしまい1週間経ってしまった…。春眠なんとかか、とにかく最近眠くてね。二連荘二日連続の疲れが尾を引いてるのもあって…。一旦話題を変えてみる。
 突然不条理な戦渦に巻き込まれてしまう小市民目線の表題作が、たぶん日本でのウクライナ事変の受容にタイムリーでもあるが、短編集として収録作の一つ「藪の花」というのが、(ネタバレするがどうせ読めばすぐにわかってしまうことなので)「集団かぐや姫」か「グループかぐや姫」ってネタで、これがグループアイドルを「予見」してるのに注目した。
 だいたい短編やショートショートSFってものは寓話みたいなもので、それを我流に解釈して○○を予見していた!なんてことはいくらもいえることで、浅羽通明なんぞのやってることは気楽な商売に過ぎない。今私のした解釈もそういうものでしかないのを断っておくが、SF的にこの「かぐや姫」は異星人の避難民で生殖器のない存在という設定であり、それにも関わらずセクシーであって視点人物の(昔話でいうところの)おじいさん(初老に過ぎないのだが)を陶然とさせてセックスとセクシーは別なのでないかという述懐がある、その感慨が我々には妙にリアルなんである。
 たとえば大森望氏はこの作品を当然ご存じで、こういう感慨もあるはずだ。だがあえて言ってない(言ってるかもしれないけど言ってないとしたら)、その解釈は秋豚系でも当てはまるのでハロプロファンとしては言えないという見識だろう。それはそうとして尊重したいが、ハロヲタでもその根底にある感慨であることは確かなのである。