horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

SPACE BATTLESHIP ヤマト

http://yamato-movie.net/index.html
 昨日、観てきた。寒い中、単館で千円均一やってたもんでね、いつもの調子である。毀誉褒貶相半ばする下馬評だが、観ないと決めて毀貶するのは論外として、観た上でここは断固、誉褒に就く。
 再放送だがTV放映を今からいえばほぼリアルタイムで見てるので、宮川泰作曲のサントラが流れ、「無限に広がる大宇宙〜時に西暦2199年…」なんていう、あのナレーションが入ると、それだけで何もかも皆懐かしくて涙が出るくらいである。そういうオールドファンの気を惹きつつ、新しい解釈も盛り込み、へえって驚きの新鮮さもあった。細かいところだと、原作・西崎義展で一貫させる必要かららしく松本零士キャラの排除のためか、佐渡先生が女医になったりとか。
 ヒロイン森雪のキャラも大幅に変えたね。ブラックタイガー隊の女エースとか。以前の森雪的な子もいるんだけどね、これがアニメで男だった相原。こういう設定の変更もあり、脚本がけっこううまく書けてると思った、いろんな伏線の張り方なんか。なにより主役の古代を演じた木村拓哉、これも賛否両論なんだけど、やっぱりこの役を演れる若さ(相対的に)と貫禄兼ね備えたのって、およそ彼くらいしかいないと思う。
 もっと根本的に実写化の是非でいうと、これは断然是である。やっぱりこれこそ当時からの夢で、ついに実現したと感じる。日本における60年代以降の漫画とかアニメの発達自体が、これがその当時としては実写化不可能だから、その断念の上に成り立ったものだ、というのは誰もいわないかも知らないが、実は絶対にあるのだ。こういうものを、ついに観ることができたかという感慨もあって、泣けた。
 さて涙を拭いて、冷静に思想的に考察してみよう。敵ガミラスのありようの変化が興味深い。オリジナル・アニメだと、「アメリカ=ナチス」っていう本土空襲(核攻撃含む)の被害感から来る実に正しいアジア的認識だったが、今回はアメリカから見た「アジア」(当然、以前の日本も含まれる)的な、全体的=非個人的で自殺的攻撃を掛けてくる昆虫的群集というイメージ(アメリカ映画の影響)。今の日本人は昔の日本人よりアメリカ人に近いというのも確かで、昔の日本人はよほど今の北朝鮮人に近かった。中国・北朝鮮のようなモノをキモい敵としながら、それに等しかった昔の日本のシンボルである「ヤマト」を再生利用して、それに当たるという矛盾したところが、オリジナル・ヤマトの(過去の)太平洋戦争戦後の神話的美化とまた異なって、近未来(もう、現在?)の対アジア戦争を予感させるリアルなキナ臭さだ。
 だから今回の最大の弱点は、なにゆえ「ヤマト」でなければならないかが不明な点である。敵が結局「アメリカ」だから「戦艦ヤマト」だったのであって、「アジア」に対して「ヤマト」である必然性がない。戦艦大和は別に尖閣奪還に出撃したわけじゃないんだから。ならばアメリカ風にStar Blazersとでもいったほうがよくないか。エンディング・テーマも、昭和ムーディーな「真っ赤なスカーフ」でなく、エアロスミスのソロ曲になってるんだし。
 要するに、俳優の体格だけでなく映像の感性もアメリカナイズされて、それで見栄えもいいんだけども、アメリカの原理的アジア敵対性(しかもすでに守勢になってる)も受け継いでしまったわけである。ただそこでかえって、「アメリカ」からでなく「アジア」から放射能除去装置(今回「コスモクリーナー」って、いわなかった?)という「宝」を得るということになるのが、以前より思想として可能性のある点だと思われる。