horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

モーニング娘。 『愛の軍団』(Morning Musume。["GUNDAN" of the love]) (Dance Shot Ver.)


 英訳タイトルではなぜGUNDANはloveのように訳されず「"」で強調までされるかといえば、サビでタイトルを叫ぶダンツツダンツツダンツツダンダンの最後のダンダンのリズム感を残す意味とともに、わずか10人でも「軍団」と称することのある(現代)日本語を直訳してlegionとかcorpsといっても外人には「?」だということでもあろう。つまるところ愛の軍団とはモーニング娘。にほかならない。
 メッセージ性の強いEDM路線シングルタイトルの中でもとりわけグループとして自己主張するこれを選んだのは、それのみならずというかそれゆえ(このシリーズおおむねプログレッシヴな中でも)もっともエクストリームな楽曲と感じられるからだ。
 楽曲がそうであれば自ずとダンスも衣装もそうであり、プリミティヴィズムとフューチャリズムを結合して20世紀のエクストリームな政治体制(ファシズムorボルシェヴィズム)の美学を彷彿させるものである。故筑紫哲也のコネに頼り中途半端な左傾の媚態で朝日文化人の末席を汚す「アイドル評論家」(前述したヒップホップ芸人とは別)などは、その「思想」からすればこれを批判してもって卑しい営業アケカスとしての世渡りにも資すべきだが、こういう風に感受すらもできない能無しなのであろう(この男が若い頃から業界コネだけにすがってきたありようは栗本慎一郎『毒入り教授より愛をこめて』に活写されている)。
 別の言い方をすれば、1910〜20年代のパリを席巻したセルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスもかくやというものであり、新生モーニング娘。をこの期に及んでも発見できていないような「文化人」はその名に値しないというほかない。このようなものとして、ハロプロのみならず現代日本文化の最高峰である。
 この登場は、やはりモーニング娘。自体の15年前の(本格的)登場に匹敵するし、来年からハロプロは黄金期に入るとする以前からの予測に対する確信は毫も揺るがない。しかしながらその実現には、政治経済から生態まで環境がカタストロフ的に悪化する事態の打開(を目指すこと)と、事態の原因であるほぼ一体化した悪の勢力の打倒(最低でも悪の妨害をハロプロに及ぼせないようにすること)が不可欠となっている。