horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

佐藤健志『僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された』

 「第二の敗戦」とはよくいわれるのに、「第二の終戦」とはいわないのはなぜか(「第一の敗戦」はふつう「終戦」というのに)。本書はこの謎を解明している。第二の敗戦だけでも既に三回繰り返されて、(本書を読んで?)認識を改めなければ更に何度でも繰り返されるだろう。敗戦を終戦といい換えた欺瞞(とその必然)を知らなければならない。戦後左右両翼の「ファンタジー」より小松左京五島勉のSFやオカルトの破局イメージが評価されるような切り口が独自すぎるとはいえ必読の戦後史だ。
 著者は一回目の第二の敗戦期(石油ショック後)の保守イデオローグだった政治学者・佐藤誠三郎の息子で、本書で実父の言説を批判している。実父の批判は(著書を三冊しか読んでない管見でも)本書で初めてではなく、前著の『震災ゴジラ! 戦後は破局へと回帰する』にもある(ここで説かれた歴史観の一貫した展開が本書)。
 一代で名を成した成功者の父に従属を迫られる息子の反抗という、このモチーフは、『バラバラ殺人の文明論』(これを最初に読んだのだが)で全面展開されており、その中で(個人的にほとんど覚えてなかった)渋谷区短大生切断遺体事件 - Wikipediaの一家や宮崎駿・吾朗父子の作品などを批判的に考察する内在性となっている。偶然に手に取って、私自身がレヴューしたことのある伊藤潤二原作「富江」シリーズ映画(のそれとは別の)作品が論じられてるのを見つけて著書にハマった次第。
 このように本来はサブカルチャーの批評から文明論にいたっているのが個人的な思考/志向にジャストミートなのであるが、そればかりか松田政男の風景論とか自称「本格保守」とは思えない知識が駆使される。リンク先でも外山恒一が反語的に評価されるが、こういう例外状態から翻って保守であるというのが著者の身上なのだろう。しかしこうした保守の必然が戦後の欺瞞を招いたのではなかったか。そもそも彼が保守であるのは、反抗が不徹底な結果の(不本意な?)親孝行なのではないだろうか。