horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

続々・古賀新一

 ユダヤキリスト教が、エデンからのアダムとイヴの失楽園の神話で蛇を悪魔としているのは何故だろうか? 蛇はいわば口腔から肛門まで一直線の内臓を皮膚で覆っただけの生物で、つまり欲望のダイレクトな形態を示すのである。これは腔腸動物のナマコも同じというか更に極端に内臓そのものであるし、「院長」の飼育した腸が「シャーッ」と蛇みたいに腸の持ち主だった美女の仇に飛びかかる話(「復讐」)も、神話的思考による内臓と蛇の同一視である。
 近代ヨーロッパ人にとってはおとぎ話でしかない聖書を原始人的な真摯さでマジに受け取るロシア人は(ロシア人はアフリカ人に似ているといったのはL.ヴァン・デル・ポストだが)、内臓(=欲望)=蛇=悪魔によってセックスを教えられた人類はセックスによる世代交代によって死の宿命に陥った(原罪)と正確に理解したため、十字架で原罪を贖ったイエスによる死者の復活の約束が実現されれば、露出した内臓的に忌まわしいセックスの必要はなくなって人間は不死になると信じているのだ。祖先の復活によって人類は動物的に繁殖しなくてもよくなるが、無数の祖先を復活させた人類は共同事業として宇宙に植民しなければならない。食事も内臓=欲望的なのはいうまでもなく、その克服として植物の光合成に似た人類の独立栄養性という発想も出てくる。
 美女ではなく美女の内臓というように、いわば欲望自体を欲望した内臓フェティシズム的な古賀新一作品が陰画となっている(なるほどアンチ・キリスト教の「黒いミサ」である)ような、ロシア・コスミズムの(その根源にはゾロアスター教があるのだろう)考え方を紹介してみた。