horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

橋下維新の挑戦とアンシャン・レジーム

橋下維新の挑戦とアンシャン・レジーム (モナド新書7)

橋下維新の挑戦とアンシャン・レジーム (モナド新書7)

 どこにでも売ってるという本ではない(市内で見たことがない。大阪の大規模書店で購入した)が、あえて紹介したい名著だ。上述のように私には(功罪として)罪の大きさで評価できない功というか、ハシゲの出てきた意味や根拠を、メディアと社会が相関する説得的な史観であざやかに捉えている。また、左翼の通俗的なハシゲ批判と一線を画した原理的な解明がなされるので、具体的な政治学の教科書ともなっている。
 そのうえで、ハシゲの限界も指摘するのだが、グローバル時代に合致した地方分権をオワコンな国政進出によらなければ実現できないと考えて老害石原なんかと組んでしまったのが間違いで、その積極的な初心を貫けなかったと(著者は触れてないが瓦礫焼却決定もこの文脈に収まると思う)。
 これは現下のハロプロにも応用できる視点だ。TV出演やCD売上を焦って電痛なんかと組んだのは戦略ミスではなかったか。ネット・メディアで今のグローバルな人気に火がついたのに、そこではマイナス・イメージでしかないものと関わってどうするのか(実は電痛自身そのことをもうよく心得て、ハロプロイメージ失墜のために己の存在感を誇示するのではないか)。既に過去のものとなったドメスティックな価値観にしがみつき未来への趨勢と逆行してしまい、せっかくのチャンスが失われてしまうのではないかとおそれる。
 しかしいつも思うのだが、私の知るところ(はきわめて少ないと認めるが)卒業生はせいぜいしょうもないヒョーロンカにしかならなかったりするのに、(この著者のように)中退者がかえってスケールの大きい作家や思想家になる大学とはいかがなものか。
関曠野先生は卒業されてましたね。失礼しました例外ということで。