horror of mean army ?

淡路島かよふ千鳥のなく声に幾夜ねざめぬスマのセンチネル

フクシマ以後

フクシマ以後 エネルギー・通貨・主権

フクシマ以後 エネルギー・通貨・主権

 ここに真打ち登場である。租税国家が崩壊してベーシック・インカムを導入した分権社会の到来する必然を示す。ところで一体、著者の思想家としての位置づけはどうなっているのだろうか。在野の、異貌の、とは言われるかもしれないが、具体的にどうとはこれまで誰も言ってないんじゃないか。英国のカトリックモダニズム保守主義としてでなく紹介した流れか、本書でも(日本のカトリックたる)皇室の弁証論(スコラ哲学)が見られるが、そのほか英国植民地主義やスイス政治文化の理想化とともに著者に同意は保留したいところである。
 しかし、明治維新の非合法性をボルシェビキ革命と同断と糾弾する、一貫して激しい反近代主義は正しい。意外と、この辺は羽仁五郎明治維新史に近いと思う。羽仁をバカにした谷沢永一が持ち上げる司馬史観は、坂の上の雲を目指した明治はよいが昭和軍閥イカンというもので、それは単にロシア革命はよいがスターリン時代はイカンというフルシチョフの焼き直しなのであって、本人は「転向」したつもりが、社会主義から資本主義の、同じ構造改革派内の移動に過ぎないのは以前指摘した長谷川慶太郎と同じ(紹介したこともあるが対談書もあり)。「うどん屋の釜」を教わって、すぐ使わせてもらったのに批判して悪いけど。
 話が逸れたが、本書でも最後にルソーが取り上げられるのは、これも偶然の一致ではあるまい。